日経オンラインのちょっと古い記事を読んでいて、思い出したこと。
かつて所属したグローバル企業と言われている会社で経験して思ったことは、無駄の多さ。
社内透明性、だとかで日本人同士も英語でコミュニケーションを取るのですが、感情が英語だとのっけられない!となったり。(私ではありませんが)
あとでランチで日本人だけで、ニュアンスを深く伝えあったり。アジア内なら比較的分かり易かったりしますが、その国の英語の使用語彙の癖もありますし。
結局、英語堪能なベトナム人管理者といってもその国のローカルスタッフだから、結局管理も現地に染まることが多かったように思います。しかし、現地人よりの判断と日本人判断の狭間、その穴によって日本人的な責任は日本人に直通だという現実。
たぶん、お互いにめっちゃ英語を勉強しても溝はずっとあるような感じです。
商社の方に、うちはこんなんです、と伝えると、その方も「うちも似たようなもんです」と返されていたことを思い出します。
弊社のような小さい会社だと、もうベトナムのラインと言われているZALOで、どんどんシェアして決断。責任不明確なメールCCなどは行わず、ミーティングもあまりやりません。
問題の鮮度に対して、対応の速度で随分解決できます。